静かな余韻のある演奏をするとき、自分の頭の中には禅庭のイメージがあります。音を鳴らさない瞬間でも、つねに空間全体の存在を意識します。石組が音符ならば、砂利はその余韻の空間。両方のマッチングなくして、洗練された音の存在はありえません。静寂をデザインする大切さは環境音楽の分野でよく言われますが、静けさを感じるには、それを誘う音の存在が欠かせません。
静けさを誘う音を出すためには何が必要でしょうか? それは、外界が織り成す何かしらのタイミングと、自分の身体のタイミングがシンクロする瞬間を、直感で感じる力ではないかと思います。石組を瞬時に決定する庭師の呼吸が、まさに必要なのです。